クラブ活動報告 - 震災関連アクトカテゴリのエントリ
石巻へ333Eキャビネットつながりで支援した。
我がメンバーの石川Lワールド靴屋さんがガンバテくれた。250足の長靴(婦人物)
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常陸太田ライオンズクラブ
会長 澤 幡 俊 彌 様
拝啓 この度は早速、支援物資を頂戴し誠にありがとうございました。
MORCの会員の中にも、ご家族を亡くしたり行方不明な方々がおります。また、自宅が被害を受けている方など多々おります。
小浜ヨットハーバのすぐ脇で、我々MORC艇の面倒を見ていただいているセールヨットの我妻さんのョップ及びご自宅も跡形なく流されてしまっています。
その様な中で、我妻さんが中心となり、何とか小浜に来れるメンバーで小浜港の復興を行い始めたところ、色々と資材機材がなく困っていました。この度は、貴台から早速資機材を頂き大変助かりました。
心より感謝申し上げます。
何とか早期に復旧し、従来のセーリング活動が出来る様になりたいと全会員で頑張っております。是非これからもご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
ただ今はバタバタしており、まともな御礼も出来ずメールでの御礼となり大変恐縮です。
落ち着きましたら(何時になるか見当も付きませんが)改めて御礼させていただきたいと思いますのでご容赦ください。
本当にありがとうございました。
宮城外洋帆走協会 小浜港新生実行委員会
委員長 森 田 敬 一
仙台東部有料道路が防波堤の役割をした。
これは今後の三陸・宮城・福島の沿岸部の道路作りに参考にすべき事実である。
http://www.youtube.com/watch?v=HuFxylQC27c
9日10日と七ヶ浜の支援にメンバーのバンをかりて、早朝5時に出発し、西那須塩原ICから東北自動車道を北上し、仙台南、仙台東高速道路へとまわり、海岸線を北上した。仙台東に入ると、海岸側と山側の景色がまるっきり違うのにはビックリした。
高速道路が防波堤になり、海岸側は、たびたび被災中継に出てくる景色が広大に広がっていた。
多賀城市内に入ると、被害が明らかとなり、道路わきには、車が転がるようにあり、中には重いタンクローリーまで転がっていた。はじめて見る異様な雰囲気であった。
知合いの案内で、小浜港まで下りた。津波の傷あとが生々しく残るが、それでも道路だけは、20トンクレーンを入れて、綺麗にしてあり、港の作業基地まで、難なく行くことができた。
ヨット仲間が被災し、小浜ヨットハーバーが壊滅状態で、毎日1トン近い水をかき出している船がある。との連絡。早速水中ポンプと発電機を送り、アンカーやロープをそろえ、出かけた。
あれから1ヶ月もたっているので、小浜のヨットたちはずいぶんと助けられ、整然とアンカリングされていた。たいんな努力だったと思う。しかし、魚網がからんで、難しいものや重機の入らないところのものなど、救助できないものあった。
ここまで、たった二人でやったというから、驚きである。
先に送った水中ポンプのお陰で、助け上げられた船も見てきた。
ハーバーの南側の防波堤が破壊されていて、大波がもろに入る状態で、今後夏場の台風などどうしのぐかと大量のアンカー作りがされていた。
もともとこの港は雑用港(避難港)で宮城県外帆走協会が借りて使っているという状況で、港の復興工事は、相当後回しではないかと心配していた。
現在道路がやっと開いて、走行できる状態になったが、瓦礫の始末はまだまだで、行方不明者の捜査や、瓦礫の片付けなどこれからされるのだろう。仮設住宅は強く望まれていたが、場所がなく、まず100戸ぐらい予定されているが500戸ぐらい必要ではないかと言っていた。
さいごに港を引き上げて、預ってきた醤油、味噌、梅干の物資を避難所となりの物資センターを案内してもらい届けた。物資センターの体育館のようなところは、いろいろな物資が一杯で、持っていったわずかばかりの物資が恥ずかしい感じでしたが快く受取っていただいた。
自転車とか長靴などあったが、残念ながら支給されず、なぜか山積になっていた。
どうも、聞くところによると、配給の仕方がまずいらしい。
最初の頃は「カップヌードル禁止令」などおかしな制限が出されたそうで、公平と言うモンスターがはびこったようだ。せっかっく持っていった物資だから、積み上げず、即日にでも配給して欲しいものだ。そうじゃないと支援してくれたみんなの気持ちが伝わらない。
津波の力はすごいもので、被災現場を見ると十分想像できる。建物は1階の壁は、ぶち抜けているか、基礎から引き抜かれて、あるいは基礎まで破壊されて、跡形もなくなっていました。
基礎を高く作って油断して灌水する程度と考えた夫婦が、地震後のかたずけを1階でやっていたそうだが、2階へ逃げる暇もなく、1階でなくなっていたという話を聞くと、津波は何があっても逃げることが大事と痛感する。

県北3市に飲料水
日立災害対策本部より、乳児優先で飲料水を配布しているため、飲料水が不足していると聞き、水2リットル入り1500ケースを日立市そして高萩、北茨城両市にも届けた。
県北3市に大根
三浦LCより大根を届けたい旨の連絡があった。大変ありがたい申し出だが、それを運ぶのには経由が不足。それを知った333?C地区のL高橋が即行動を起こしてくれ、軽油1000リットルが届いた。それを利用させてもらい、無事、大根を県北3市へ届けることができた。
(残った軽油は日立市災害対策本部へ届けた。)
足利から鉾田へ飲料水
333-B地区真尾元地区ガバナーより飲料水を届けたいと連絡があり早速、潮来LCへお話ししたところ是非いただきたいということになり、3月30日、中間地点でもある、日立キャビネットで待ち合わせをした。お互いのトラックを横付けし、飲料水2000リットルを積み替えた。そして、液状化により、水道復旧の見通しが立たない被災地へ搬送された。
米
332地区より緊急援助要請があり、お米(9トン)を332-C地区(仙台)集積所へ4月1日届けた。
更に10トンを332―D地区(猪苗代)集積所へ届けた。
水用ポリ容器
高濱ガバナーは、給水車が来ても、水を入れる容器が不足しているという情報から、ポリ容器20リットル入り1500個を手配し神栖市へ届けた。
医薬品
332-D地区(福島)より医薬品調達の要請があり、4月3日、生理用品16箱、風薬2400個、咳どめ100個、鎮痛剤1000個、歯磨きセット300人分を集積所へ届けた。

332-D地区山口ガバナー、同夫人と1Z1Z ゾーン・チェアパーソンL小林

トラックより緊急物資を搬出するE地区メンバー
震災発生の1週間後の3.19にメンバー有志により福島県に入り支援物資を届けました。
しかし、古河地区は震災による被害が少なくて済んだ事もあり、それ以外の目立った物資による支援活動を行っておりませんでした。多くのメンバーにより何か具体的に被災地の皆さんに支援したいという想いから、今回遅ればせながら支援物資を搬送することになり、4月2日(土)に実行いたしました。
震災発生3週間がたち一部の避難所を除き、ある程度物資の調達は進んで、逆に迷惑に成るのではと危惧しながらも、果物類(約1.5トン)を中心に調達し、メンバー9人で車4台に積み込み福島県方面に出発。現地の避難所40か所近くを訪問し届けてまいりました。
避難所では必要な食料は足りているものの、果物類は不足気味のようで現地の方に喜んで頂けたのではと思っております。



